【山 名】 | クマン岳 大須山 |
【標 高】 | 399.8m 259.5m |
【場 所】 | 江田島市 |
【登 頂】 | H24.3.3(土)晴れ |
【アクセス 】 |
呉市487号→音戸大橋35号→早瀬大橋487号→大君44号→江田島中央487号→江田島宮ノ原297号→ ○クマン岳:幸の浦峠→林道古鷹線 ○大須山:幸の浦峠→林道大須線 |
【行 程】 | クマン岳登山口12:17→帆立岩12:34→山頂12:50−13:43→下山14:12 |
【情 報】 |
駐車場:クマン岳は登山口の少し手前に数台分スペースがあります 大須山は広い駐車場があります トイレ:登山口付近にはありません(林道の古鷹山登山口にはあります) |
【メンバー 】 | 同道二人 |
【過去記録】 | H23.2.24 |
【概 要】
クマン岳は昨年2月の登山では山頂部が伐採されており素晴らしい展望を楽しみましたが、今回は案内板や記念スタンプ台なども設置されていました。第一級の眺望が得られる山頂に変わったのは良しとすべきでしょうか。それとも俗化?
大須山は似島の下高山からは真正面に見える山で、一度反対側から似島を眺めてみたいと思っていました。期待通りに真正面に似島、西方向には砲台山、大奈佐美島、厳島、東側に絵下山、クマン岳などの良好な景観が得られました。ただ砲台跡展望台は枯れ草のこの時期とは云え実に茫漠としていました。
● クマン岳
297号線を幸の浦峠に向かうと峠で左に幸の浦への道が下っています。大須山へはこの地点でさらに左手に分岐する林道大須線へ進入しますが、クマン岳へはこの幸の浦への分岐を通過して少し進みます。すると古鷹山森林公園の表示があり右に林道が登っています。
○ 古鷹林道に入りクマン岳の登山口を目指します。登山口には「ひろしまの森づくり県民税」により整備されたとあり、良く整備された木階段が登っていますが早速の急登です。すぐ小ピークになり前方には遠目にも特徴ある帆立岩など岩の重なるピークが見えていますが山頂ではありません。折角登ったピークですが鞍部に向かってまた下ります。
○ 鞍部には桜の木が見られますが、幹部候補生学校によって植樹されたもののようです。
ここからはコンクリート舗装や階段があり、岩の配置された明るい庭園内のような登路となります。舗装が終わると見えていた岩場の辺りですが、天を突き刺すようにそびえる帆立岩はいつ見ても感動ものです。岩登り愛好者は帆立岩に直接登るようですが、岩の脇を進むとすぐ帆立岩への分岐に達します。
○ 帆立岩の前には立派な表示板が立てられていました。展望は江田島湾を挟んで対岸の西能美の宇根山や真道山などが得られます。平坦な歩きやすい道になり前方にはピークらしきものが見えますが山頂ではありません。また階段かと思うとすぐ平坦道に。快適な道を気持ちよく進むと再度階段でそろそろ山頂かと思うとまた平坦道に。これを山頂までに5回ぐらい繰り返しますが、古鷹山から縦走するときは、その都度ガックリさせられるものです。振り返ると急峻な古鷹山が見えています。また階段が現れますが、もう上空が開けていますから山頂です。
○ クマン岳の山頂には先着1組の登山者の姿があり、「クマンの鐘」が鳴っていました。昨年、2月には山頂が切り開かれ360度の大展望が得られる山頂に変わっていたのに驚きましたが、今回は新たに「クマン岳の由来」の案内板や登頂記念のスタンプ台などが設けられていました。整備のおかげかハイカーも増えたようで都合4組のグループに出会いました。
● 大須山
○ 大須山へは一旦幸の浦峠にもどり林道大須線に入ります。分岐の右手には幸の浦の集落への道も下っています。心配した林道は最近舗装が完了したものらしく、呉ポートピア辺りからも擁壁が異様な景観で見て取れます。ほとんど無用の道のように思えますが、山火事対策としての林道整備工事のようです。何しろ江田島は昭和53年に2昼夜にわたる山火事を経験していますから。
○ 林道を登りきると広い駐車場があり、反対側には大須の集落からの道が登っています。駐車場には「大須山森林公園」の案内板が立っています。呉市の吉松山もそうでしたが、呉周辺が最重要防御体制の下におかれたため広島湾の島々の稜線には数々の防空砲台が築かれていました。大須山一帯も大須山防空砲台の跡ですが、林道整備工事の一環として公園化されたそうです。
○ 駐車場の向かいに展望広場の表示があり手すりと階段が設けられていますが、その足下には防火水槽が埋まっています。枯れ草の茂る遊歩道は左右に分岐しますが右のジグザグ道を取ると前方に兵舎跡とされたレンガ壁の遺構がみえてきます。この前を直登すると大須山の山頂のようですがはっきりした道は見えません。
○ レンガ塀の所を左折するとすぐ山頂広場に出ますが、平坦な山頂にはポッカリと大きな穴を開けた砲台跡が3つありました。展望は大須の瀬戸を正面にして西能美から先ほどのクマン岳までが開けています。しかし展望広場とはいえ時期を選ばなければ木立により視界を遮られるでしょう。
○ 展望広場は公園化され植樹もあるようですが、他の多くの防空砲台跡が放置によって再び自然に帰りつつある中でここも例外ではないようです。枯れ草のこの時期とは云え実に茫漠とした景観をなしていました。ただ林道が整備されましたので、今後は訪れる人も増えるとは思われますが。
○ 一旦、駐車場まで下りて西側の展望所を覗いてみますが、ここにも兵舎跡や水槽跡などがあります。先端部には大須の集落からの遊歩道が上がって来ています。展望所は木立も少なく良好な景観が得られ正面北側に似島、西方向には西能美の砲台山、大奈佐美島、厳島、東側に絵下山、クマン岳などが眺められ所期の目的を達することができました。
広島里山紀行 記
クマン岳の由来です
昔、切串に人が住みついた頃、とにかく用心深かった。
住まいは、古鷹山を分水嶺とした江田島で一番長い川、長谷川(ながたにがわ)の流域に点在していた。
交代して熊ヶ岳の見張り所をつくり、九州より厳島を通ってくる海賊、四国より音戸の瀬戸を通ってくる怪しげな船や、広島から江田島に来る小舟が切串に上陸するかどうかを見張りして、見つけるとノロシを上げて、数少ない人々の安全を守っていた。
大勢いると思えば、熊ヶ岳に登って隠れ、少人数しかいないと思えば、熊が岳の見張り所から下りて、ともに防いでいました。
強くて荒く、恐ろしいとされる熊に似せるため、切串で一番高い山に、大きな木や小さい木、そのシダまで固定して、大きな熊の形にした。
広島湾や切串から眺めても、熊そっくりの形となり、切串の人はひどく喜び、朝な夕な、守り神と仰ぎ、礼拝した。
行きかう船からも、くっきりと鮮やかに仰ぎ見られ、恐れと神々しさを感じた。
誰いうことなく、熊がいる山、「熊ヶ岳」というようになり、名が伝えられた。
その後、この「熊ヶ岳」の名が段々と変化し、「クマン岳」へと変わったらしい。
江田島市
クマン岳 | |
登山口です。早速階段が | すぐに小ピークで北に帆立岩がみえます |
プレートの劣化に比例して成長した桜 | 岩庭園内の遊歩道のようです |
岩庭園?を過ぎると視界が開けて | 天を突き刺す帆立岩 |
帆立岩。江田島湾の展望スポット | 穏やかな尾根道です |
何度か現れる階段も | こんな道があれば苦になりません |
背後に古鷹山がみえてきると | まもなく山頂です |
山頂には案内板が新調されていました | 展望の山頂 マウスを乗せると |
クマンの鐘 | 似島です |
東に呉市街地 | 北に広島市街地 |
西側の展望岩からは瀬戸の海と西能美島、 宮島 大奈佐美島、似島などの島々の眺望が得られます マパノラマスクロールはこちら
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