【山 名】 | 火山・武田山・ガガラ山 |
【標 高】 | 488.3m 410.9m 212m |
【場 所】 | 広島市安佐南区 |
【地 図】 | 1/25000 広島・祇園 |
【登 頂】 | H24.3.8(木)曇り |
【アクセス】 |
JR横川駅→JR大町駅 春日野北バス停→JR安芸長束駅→JR横川駅 |
【行 程】 |
○武田山登山口8:55→名水への道・武田山分岐9:11→八幡山里道・ガガラ山分岐9:18 →武田山・ガガラ山・大町コース分岐9:23→ガガラ山9:32 ○カガラ山9:40→ツツジの丘9:45→吹通し(対峙の場)9:49→Aコース分岐10:17→武田山10:29 ○武田山10:34→水越峠10:55→火山11:44 ○火山11:49→八畳岩11:55−12:30→権現峠12:58−13:01→下山13:16 |
【情 報】 |
駐車場:今回の登山口にはありません トイレ:今回のコースにはありません |
【メンバー】 | 美8名 |
【過去記録】 | 武田山 H21,3,10 火山 H23.4.25 |
【参 考】 | 武田山の歴史 |
【概 要】
武田山から鈴が峰に至る長い縦走路は何時の頃から広島南アルプスの名前が定着したようですが、カガラ山はその東端に位置しその尾根はアストラムラインとほぼ平行に南北に延びています。地図上には標高はあるものの山名はありませんが、地元では「ガガラ山」(岩のガラガラする山?)と呼ばれるようです。ただ各所で見かける「武田山の緑を守る会」の表示は「カガラ山」を使用しこれが一般化しつつあるようです。
カガラ山は標高は低いものの予想以上に素晴らしい山でほぼ360度の展望が得られました。メンバーの全員が初めての山でもありレポートはカガラ山から武田山までを主体にしています。
○ 今回のスタート点は大町駅です。大町駅はJR可部線とアストラムラインとの乗り換え駅でバスターミナルも併設され周辺は昔よりはずいぶん変わっていました。駅前広場を左折して大町2丁目の団地を目指します。安川通りに出て大町小学校入口(北)の信号を渡り団地内の坂道を進み、大町郵便局を過ぎカラー舗装道が大きく左にカーブする地点の擁壁の上に立派な「武田山登山口 大町コース 大町アルキニストクラブ」の指導標板があり階段が登っています。駅から15分ほどです。
○ 武田山登山口の階段上の細道は団地の生活路としても利用されているようです。少し進むと「登山者の皆様へ」の表示がありコース略図が書かれていました。生活路から別れて大町調整池の金網の脇を進むと16分ほどで名水への道の大きな標柱が立つ分岐で左が水場と指示されています。
直進の武田山への山道を7分ほど進むと「八幡山里道」とカガラ山分岐ですが、八幡山里道はこの先の「対峙の場」広場で合流するようです。さらに常緑樹と落葉樹の混在する登路を進むと5分で大町コース・武田山の指導標が出ます。この辺りから岩が現れるようになります。
○ 大町コース・武田山の指導標から6分で主尾根に乗り明るい感じになります。ここにはガガラ山(カガラではありません)山頂、JR大町駅、吹き通し、武田山、大町コースと新旧の多くの表示があります。「ここより左奥へ カガラ山山頂」の表示に従い、まず直進のカガラ山を目指すと尾根道を3分で前方に岩の重なりが見え山頂でした。
○ カガラ山の山頂はガレた岩だらけで「カガラ山山頂、標高二百十二メートル、平成十九十一月二日不審火焼失」と書かれた白い標柱が立っていますが、標柱の文字はガガラが消されカガラとなっています。西方向の眼前には武田山がそびえると云う感じで意外に高い位置に見えます。広島市内方面から見る武田山とは異なって、三角錐形の端正な山容は安佐小富士といってよい美しい姿をしています。 眼下に相田の団地、その視線の先に安東の町並みが広がり、生憎霞んで視界が得られませんが北側に荒谷山、権現山、阿武山などが確認できました。
○ 展望を楽しんだ後は武田山へ向うため分岐に戻りました。ここからは武田山とカガラ山と鞍部に向かって下りますが分岐から2分ほどで「ツツジの丘」と大きな表示があります。季節には花が見られるのでしょうか。
○ 山の左を巻いて下るとツツジの丘から3分、カガラ山から7分で鞍部です。鞍部には「吹通し」の標柱が二本立ち、また「対峙の場」の標柱が立つ広場となっていました。広場は清潔に保たれ、安佐南中学校美術部作画と書かれた武田山案内図とトタン屋根の小屋や丸太ベンチが置かれていました。
鞍部は変則五差路でカガラ山から下ってくると左後方から八幡山里道(JR大町駅の表示もあります)、右に武田山団地からの道が合流し、前方の左手に安佐南中学校への道が分岐しています。武田山へは直進します。表示の一部にはJR大町駅と大町ルートが真反対の方向を示すなど一瞬考えるものもありましたが、、、、、
○ 対峙の場から武田山への道を直進すると3分で分岐です。左から八幡山里道が合流しますが、左に進むと大蔵屋敷跡、憩いの森の指導標があります。八幡山里道の標柱には麦田神社とも書かれていますが。ここからは直登の尾根道です。5分ほど登ると植樹帯を抜けて一旦道が緩みホッとしますがすぐ急登が始まります。落ち葉の積もる道は良く整備され足下に不安はありませんが何分にも大変な直登、急登の厳しい道で息も絶え絶えです。
○ 八幡山里道の標柱のある分岐から17分で左から新設道が合流しますが、「この先作業中、進入禁止」の札が下がっています。武田山は典型的な里山で道が四通八達しています。新設道から7分で左に道が分岐します。案内表示は落ちて文字も定かではありませんが微かにAコースと読めました。どちらがAコースか分かりませんが左は巻き道のようなので直進ます。
○ ここの辺りから銀山城の城域となるようで山城らしく急峻で自然石を利用した城跡は登るのも大変です。郭跡、見張台、犬通し、鶯の手水鉢、館跡と各遺構を過ぎるとAコース分岐から17分ほどで山頂です。
○ 武田山の山頂は館跡の広場のすぐ上にあり三角点が置かれています(角が欠けていますが三等三角点です)。 頂上からは広島市街地から広島湾まで一望でき、二ヶ城山、牛田山、呉裟々宇山、絵下山の展望が広がる。はずでしたが今日は霞んで今ひとつでした。
○ 武田山からは火山を目指します。頂上から尾根を下ると6分で弓場跡で、手作りの弓矢が置かれ一寸童心に帰れます。弓場跡からは登った分だけ急坂を下る感じです。弓場跡から14分ほどで水越峠です。ただ353mピークの手前になり国土地理院の2万5千分の一地形図に記載されている水越峠とは位置が異りますから注意が必要です。
○ 水越峠は武田山と火山との鞍部になり四差路となっています。立派な指導標があり直進が火山、左が東亜ハイツ登山口、光賢寺跡、相田登山口とあり、右が東山本登山口です。「大人の隠れ家」、「DASH村」ともありますが? まず353mピークを目指しますが、ピーク付近で右後方から余り踏まれていない道が合流します。緩やかな道と岩場もある急坂を繰り返します。
○ 水越峠から22分ほどで一旦、傾斜が緩む頃から道は南方向から西方向に大きく方向を変えますが、火山はまだ高い位置に見えています。この前の小ピークの左手に切堀の表示がありましたがパスです。この先も緩急を繰り返し最後の急坂を登ると山頂が近いことを実感するようになります。この山頂の手前で右から安佐墓園からの道が合流します。
○ 火山は武田山系の最高峰で山頂には四等三角点が置かれています。火山の表示と皇紀二千六百年記念の石柱が立ち、北側には安西高校への下山路が下っています。山頂は巨石が点在する広い平坦地になっていて360度の展望が楽しめます。今日は霞んでいますが、それでも南方向に広島南アルプス?縦走路の丸山、大茶臼山、東方向には右端に武田山、その先に二ケ城山、さらに呉娑々宇山、西方向には広域公園の先に向山などが確認できました。
○ 展望を楽しんだ後は八畳岩に向かいます。快適な道を下ること5分で広い花崗岩露岩の八畳岩に着きました。眼下には春日野団地、その先に祇園の町が広がるなど市内が一望できる絶景です。大休憩後は下山口の春日野団地を目指します。八畳岩から4分ほど下った所には八畳岩から見えていた大岩がありここも休憩適地です。ここの先には岩の間を下る難所があり、下るとすぐ右手に沼田方面への道が分岐します。さらに淡々と進むと八畳岩から12分ほどで三田峠で、アストラムライン大原駅方面の指導標が立ち右によい道が下っています。この道は先ほどの道と合流します。左手には春日野団地へ下る道がありますが、利用が少ないのかほとんど消滅しかかっているように見えます
○ 三田峠から一登りすると展望の効かない399mピークで、ここを下ったところが権現峠です。三田峠から15分でした。ここは四差路で前方の尾根に向かっては縦走路が延びていますが、左が今日の下山路である春日野団地への道です。右は沼田伴方面への道ですぐ先に権現神社が建っています。参道や周辺は草刈りされ、よく手入れされた神社には記帳ノートが置かれていました。
○ 権現峠から春日野団地に向かって下山します。下山路は幅も広く起伏も少ない非常に歩きやすい道で、かつて伴から祇園へ抜ける重要な生活路だったことが偲ばれます。右手に谷を見て下りますが、砂防ダムが見えてくると下山口です。峠から15分でした。春日野登山口の指導標が立ち、火山、権現峠の表示があります。ここからの最短のバス停は4分ほど先の春日野北バス停ですが、計ったようにちょうど来たバスに乗れました。
広島里山紀行 記
(山頂の案内板)
銀山城跡 平成2年2月10日 広島県教育委員会 広島市教育委員会
鎌倉時代初期、旧祇園町一帯には、安芸国内から運ばれてくる物資の保管倉庫(倉敷地)が集中していました。また、この地域は、古市、今津などの市場や港町で賑わい、安芸国の政治、経済、交通の大変重要な場所をしめていました。
こうした要衝の地を治めるため、承久の乱(1221)で手柄を立てた甲斐(山梨)守護職武田信光は安芸守護職に任命され、守護所を武田山南麓に構えました。その後、鎌倉時代末までには、武田氏により銀山城が築かれたと伝えられています。銀山城は、これ以後、天文10年(1541)大内氏の命を受けた毛利元就らに攻め落とされるまで300年間、太田川中、下流域を中心として安芸国支配をすすめようとした武田氏一族の一大拠点として重要な役割を果たしていました。
現在、銀山城跡には、斜面を削り取り平にした50近くの郭の跡や堀切などが残っています。特に中腹の要所に設けられた御門跡とよばれる郭跡には、通路を直角にとるかぎの手の石積みを残しており、近世城郭の枡型の原形として大変貴重なものといわれています。このように広島市域で最大の規模を持つ銀山城は構造的にも極めて優れており、広島県を代表する中世の山城といえます。
8:40 大町駅が出発点 | 8:50 武田山大町コースの登山口です |
立派な指導標が立っていました | 9:14 名水への道と武田山への分岐 |
9:18 八幡山里道とカガラ山の分岐 | |
9:23 武田山とカガラ山の分岐 | 明るい尾根道を進むと |
岩の重なるカガラ山の山頂が見えて | 9:23 山頂です。 |
岩のガラガラする山頂は眺望も優れています | 端正な山容の武田山(安佐小富士?)、奥に火山 |
右手には荒谷山が | 9:40 武田山に向けて下山です |
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