山 名 | 石城山(いわきさん) |
標 高 | 362m |
場 所 | 山口県光市 |
登 頂 | H28.6.18 |
アクセス | 熊毛IC→県道8号→県道160号→登山口 |
コース | 三鍛冶屋登山口→石城神社→高日ケ峰→北門→月ケ峰→石城神社→三鍛冶屋登山口 |
メンバー | 同道二人 |
過去記録 |
○熊毛IC〜三鍛冶屋登山口
熊毛ICから県道8号線、県道63号線を南下して63号と160号の分岐路まで進みます。ここで直進すると三鍛冶屋登山口へ、左折すると伊賀口登山口へと至りますが、今回は県道63号線を進みメインルートと思われる三鍛冶屋登山口に向かいました。
三鍛冶屋登山口は明確な表示はありませんが分岐から500mほど進むと左手に山口県独特の橙色ガードレールの坂道が登っています。(なおすぐ先の県道沿いに駐車可能な小スペースがあります)
○三鍛冶屋登山口〜石城神社
坂道を登ると立派な石柱と狛犬があり舗装された細道を1分ほど進むと分岐です。分岐には「石城山県立自然公園登山道・山頂迄約1.4km」の道標がありますので、ここを登山口として左の道に進みました。
小ササの道はすぐ薄暗い落ち葉の敷き詰められた登山道に変わります。展望もなく周囲は放置された植林が自然林に還元されつつあるようで日差しが無いだけ助かりました。よく見ると深い落ち葉で被われていますが道はコンクリート舗装でした。結構急な道を20分もすると辺りは荒廃した竹林帯に変わります。
登山口から30分ほどで三鍛冶屋登山口と伊賀口登山口の合流点で、左に伊賀からの道が合流します。少し開けた場所で左に小堂があり前方が石城神社方向です。
傾斜の緩んだ道を5分ほど進むと次の分岐で「石城山県立自然公園登山道・山頂迄約4km」の道標と「第二奇兵隊士首置松跡」と表示があります。ここは表示に従い左折しますが表示のない直進の道は山頂駐車場前の「大師堂」へつながるのでは?
左に進むと明るく切り開かれた場所で、その先に「三鍛冶屋950M・西水門250M」の標柱が立っています。直進は西水門ですが先ず右手の広場に入りました。
広場には幕末に名をはせた石城山奇兵隊と第二奇兵隊本陣跡、神籠寺跡などの説明板や明治維新百年記念樹の石碑が建っていました。広場を抜けるとすぐ石城神社です。
○石城神社〜高日ケ峰
石城神社は1400年以上の歴史を有し築500年と云う国指定重要文化財の社で、本殿と拝殿の横から境内に入るという変則的な配置でした。広い参道を進むと茅葺きの「随身門」でその前が石城山公園線の終点、右手が駐車場です。随身門は神護寺の仁王門を明治の廃寺騒動で移設したものとか。
道路に出てすぐ右に入ると朱色の屋根が異様な石城大師堂で、竹林越しにわずかに皇座山方面が眺められます。
大師堂から引き返したすぐ先の細い急な舗装路が神籠石の周回遊歩道の入口ですが、ここには何の案内表示もありませんでした。
登ったところに荒神社の祠と「東水門600m」があります。この先は明るい諸神社の参道が続きます。宇和奈利社、磐山神社と過ぎると「二十丁目」の石柱と「神籠石・東水門約540m」案内があり、正面に日本(やまと)神社がみえています。境内に入り岐阜県特産天然記念物の「さざれ石」の前を進むと、東方面が開け高い石段が登り柳井の街並みと室津半島の展望が広がります。
遊歩道まで戻り進んで行くと若宮社、物部神社、五十猛神社と諸神を見送ります。日本神社から5分で「高日ケ峰」の小さなプレートがあり遊歩道から山道が分岐しているので、左の山道を登ると2分で高日神社の建つ石城山の最高点の高日ケ峰に到着しました。
○高日ケ峰〜北門
高日ケ峰の背後は樹木に阻まれますが前面は切り開かれて展望が得られ、眼下には田布施の町並みが広がり銭壺山、三ケ岳、琴石山そして大星山から上関町上盛山方面さらに周防大島の山並みが望めます。
展望を楽しんだ後は元の道には戻らず正面に下る細道をたどると、2分ほどで周回遊歩道に合流しました。合流点には立派な「石城山県立自然公園史跡案内図」が建っています。
現在地を確認して広い遊歩道を東方向に向かうとすぐ石造りの妙見社の鳥居です。鳥居から2分で下り階段、さらに2分で「石城山県立自然公園史跡案内図」の前に下り立ちました。
ここからは進路を西方面に転じ東水門の標識に従って進むとすぐ補修された「神籠石」の前に出ました。この先が神籠石の「東水門」で高い石垣の中央底部に排水溝が見られますが、これが谷水を流すための古代土木工事とすれば驚きです。続いて巨石が連なる「列石」の側を進むと、右手が開けた展望地で蓮華山方面から銭壺山や三ケ岳、琴石山などが眺められました。傍らの神籠石説明板よると列石は「版築土塁」と云う土塁の土留め石が露出したもののようです。
○北門〜三鍛冶屋登山口
展望地から6分ほどで平坦道が終わり階段を下ると、城門の一つとされる広い「北門跡」です。南側に登ると駐車場につながりますが、ここでタクシーを待たせていると云う九州からの人に出会いました。考古学愛好者にはたまらない魅力があるのでしょう。
この先も一列に並べられた列石は続き、龍の顔と云う「龍石」の脇を進み階段を下ると「北門跡」から10分で明るく開けた「北水門」に到着です。北水門も高い石垣の底部に明確な排水溝が残されていました。ただ水の流れは変わったらしく石垣の端から谷水が勢いよく流れています。
北水門は周回路の最底部になりますから下った分だけ登り返えします。歩きやすい道を進むと15分余りで「西水門」に到着しました。西水門は深い谷間に作られ、石垣は高くありませんが3段にわたり築かれています。谷は北側が開けていますが残念ながら山名は分かりません。再び急な階段を登り「龍尾石」の間を抜けて進むと広場に出ました。実はここまでに三角点へ進入口の休憩所があるはずでしたが見落としました。
広場から右に進むと石城神社方面ですが、正面の山際にテープがありましたので三角点のある月ケ峰への道と見当をつけて登ります。薄暗く急な斜面をテープを頼りに登ると3分足らずで350.1mの四等三角点に到着できました。三角点は狭く木立に囲まれ視界もありません。
遊歩道に戻り数分で第二奇兵隊本陣跡に出ると周回路は終わりです。下山は「三鍛冶屋950M・西水門250M」の標柱から往路をたどりました。
なお、伊賀口登山口は63号線から分かれて歴史資料館の「三国志城」前を進んだところにあり数台が駐車可能です。
広島里山紀行記