山 名 | 高松山 |
標 高 | 339m |
場 所 | 広島市安佐北区 |
登 頂 | H31.3.20 |
アクセス | JR西広島駅8:19→8:23JR横川駅8:31→JR可部駅9:07 |
コース | ○JR可部駅9:20→9:42登山口9:53→与助丸分岐10:05→与助丸10:46→高松神社11:00→山頂11:08 ○山頂12:19→桐原・上原分岐12:47→上原登山口12:56 |
メンバー | 美11名 |
過去記録 | H24.10.3 H22.10.19 H19.4.26 |
○登山口(9:53)〜与助丸(10:46)
高松山の周辺は2014年8月20日の土砂災害によって大きな被害を受け登山口の辺りも様変わりしていました。登山口には「高松山登山道入口→」の大きな案内板と「高松城趾登山口」の石柱があり白い手すりが登っています。登るとすぐ墓地で修復された最上段には合同塚があり、「あと1粁」のプレートがありました。その先の大鳥居は無事で、左手の谷には大規模な砂防ダムが完成していました。
右手を登りダム工事用作業道に出ると「登山道はこちらです。気をつけて」の案内で二基のダムの上部に出ると山道に入ります。振り返ると町並みと螺山が正面に見えています。登山道は石垣や用水路の跡の傍を進みますが、以前は樹林に覆われ射す光も少なく陰湿だった道も谷側はすっかり明るくなっています。
登山口から8分で直進の道は「この先登山危険」の案内があり、右に「高松山尾根道→」が出ています。ここで与助丸方向の尾根に乗り、灌木帯の中をジグザグに登っていきます。露岩の目立つそして砂礫状の滑りやすい道を登ると上空が開けて裸地に出ました。登山口から30分でした。
裸地は休憩適地の展望地で可部の町を見下ろし広島市街地から阿武山、螺山、水越山が見えています。堂々とした山容の阿武山がひときは印象的です。ここにはGポイントのテープ(『広島市の山を歩く』記載)がありました。この先しばらくは傾斜も緩み快適な登山ができました。「←与助丸・山道、標高250m」のプレートを見て数カ所の郭跡らしき平坦地を過ぎると「与助丸 ←山頂・可部方面→」のプレートが掛かる与助丸に着きました。
○与助丸(10:46)〜高松山(11:08)
与助丸はコナラの落ち葉を敷き詰めた明るい広場ですが展望は余りありません。与助丸からも郭跡らしき場所があり明るい尾根道が続きます。「馬場・三の丸→」のプレートを見て左に道をとって一登りすると馬場跡の広場に出ました。来た方向に「東側脈下山道方面へ→」の案内プレートがあります。
馬場跡には「馬場跡」、「井戸跡」の木柱が立っていました。木柱の前には石組みの井戸が残されています。馬場の東側が明るいので覗いてみると土石流の発端部で大きく土砂災害の跡が残されていました。馬場からは山頂を巻く形で穏やかに進みます。山頂への近道を見送ると高松神社の横に出ました。
高松神社には「馬場・井戸・二の丸方面→」のプレートがあり、現在は利用危険の谷コースが登って来ています。神社の横に掲げられた「高松山頂上付近略図」によると標高250m以上は国有林とあり神社の左に三の丸があるようです。
神社から「山頂近し約50米」のプレートを見て急登するとすぐ「二の丸跡」のプレートがある二の丸です。二の丸から最後の一登りで本丸跡の山頂に到着しました。神社から6分ほどでした。
○高松山(12:19)〜上原登山口(12:56)
四等三角点が置かれた山頂には高松城の由来解説板「熊谷氏の遺跡 高松城趾」や「高松城跡」の石柱が立っています。それによると熊谷氏により築城された鎌倉時代の典型的山城で武田山の銀山城に匹敵する城跡とか。
東西に細長い山頂からの展望は良く、東側の鐘の段方向を除いて三方に大きく開けています。眼下に可部の町並みと広島デルタに向かう太田川が一望でき広島市街の先には能美島など瀬戸内海の島々が広がっています。北方向には備前坊山や可部冠山、堂床山などが、西方向に茶臼山、螺山、水越山、福王寺山さらに東郷山、窓ヶ山などが、南方向には阿武山、二ケ城山、呉娑々宇山、牛田山などが望めます。
下山は高松峠の上原登山口に向かいます。本丸跡の東端の平坦地から左に下ります。下山口には「鐘の段→」、「桐原におりる道です→」のプレートが架かっていました。下った深い堀切の右手に広い「鐘の段」がありました。説明によると敵襲来を知らせる場所で梵鐘があったようです。
堀切の左手から下り数段の郭跡ような平坦地を過ぎると急な下りになりました。この辺りに土居屋敷跡の下る土居尾根の分岐があるはずですが見落としました。急な道を下ると平坦地で「谷の坊→」のプレートがありました。急坂を下り堀切を越えると広い平坦地でここには「←谷の坊」のプレートとFポイントのテープ(『広島市の山を歩く』)があり、また「←桐原へ・上原へ→」の案内がありました。鐘の段からは20分余りでした。
この分岐で上原方面に進むと平坦地の北端に「下山道・上原水道施設へ」の案内表示がありました。右に曲がり下るとコシダも見られる明るい道となり前方には鬼ヶ城山も見ることができました。しばらく下ると小径木の林に入り道も緩んできました。右手に桐陽台第一調整池が見えると高松峠の舗装路に出ました。分岐から10分ほどでした。登山口には「県史跡熊谷氏遺跡・高松城登山口(上原コース)」の案内板があります。
広島里山紀行記