日裏権現山 |
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山行記 |
【概 要】
○安佐動物園を過ぎてあさひが丘団地に入り日浦小学校を目標にし、学校左手の石垣に沿って進み、T字路の突き当たりが広い駐車スペースとなっています。
○この奥に登山口の表示(「山頂まで約1200m 約40分」)があり広い道が登っており、まさに団地の裏山という感じです。登山口から数分で「地幾利石」の大岩があり、その先に石鳥居があり日裏山神社への参道が始まり早速、丸木階段です。
○登ると道が緩やかになり登山口から10分ほどで右手に自然石の石柱が立ち、石仏と書かれていました。ここから数分で左手に細道が下り、続いて数分で二つ目の道が団地方向に下っています。
道は山頂に向かう尾根をたどっていますが、角張った石(粘板岩)が露出する少し歩きにくい道となります。この辺りで落葉した梢越しに団地が見えます。
○道幅の広い参道を進むと登山口から約25分で「山頂まで約500m 約15分」の表示が現れ、右手前方に権現山の山頂が望めます。ここはちょうど腰掛けるに適当な岩があり、帰りにはコーヒータイムを予定しました。 ここからは道はやや狭くなりヒノキ植林帯の中を進みますが、5分ほどで四差路に出会います。
○四差路の左手は「後山3区」、右手は「狸城を経て教雲寺へ」と書かれ、何れも広い道が下っています。ここからは尾根道を外れ右方向に大きく進路を変え権現山の山頂を目指します。落ち葉の積もった急坂は大変滑りやすく下りが思いやられます。5分ほどで今度は右手に視界が開けて団地が望めますがホットするのもつかの間、木階段が始まります。
○まもなく右手に老杉が見られ梢越しに海も遠望されるようになると、四差路から20分で右手に「流鏑馬跡地」、左手に「日裏山神社」と表示のある山頂台地の分岐に出ます。左に進むと前方に神社が見えています。
○日裏山神社脇の「日裏山神社由来緒」によると、神社歴は源平合戦時の文治3(1187)年まで遡るとありました。神社は再建されたものですが補修資材も運ばれ信仰の深さを感じます。神社裏手に回ると展望所、三角点の表示があり、神域らしい杉の間に道がのびています。
道はすぐに山道に変わりやせ尾根を歩きますが、右手は杉植林で暗いのに対して左手は雑木で明るく時々展望も得られます。神社から8分ほどで展望所です。
○展望所は植林帯の北側には展望は得られませんが、南側には大きく開けています。逆光ですが眼下にあさひが丘団地が広がり、正面には荒谷山がどっかりと腰を据え、その裾に動物園、左手に野登呂山が見えています。
荒谷山背後の左手には武田山、火山、大茶臼山と連なる武田山山系、右手には窓ケ山、岳山
、阿弥陀山、東郷山と馴染みの峰々が望めます。さらにその向こうには広島市街地や広島湾、瀬戸内海の々も遠望できます。
○三角点は展望所の奥、北西方向に進みます。道は淡々と下って鞍部に達し、その先にピークがありますがここには三角点はありませんでした。さらに深く積もった落ち葉の感触を心地よく感じながら道無き道を下ります。
展望所から8分、斜面の中央に4等三角点がありました。ピークでなく斜面にある三角点は初めての経験です。側の立木には「あさきた里山マスターズ」の表示板があり標高は445.5mとされていますが、ガイドブックには神社の個所を490mとしていますからかなり下った場所です。ここから先は落ち葉のため下山路があるのか不明でした。ただ梢越しに太田川が望めていました。
広島里山紀行 記
アルバム |
登山口です | 日裏山神社への参道が登山路です |
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石仏です。辺りには岩が点在しています | 角張った岩(粘板岩)の道です |
山頂まで500m地点です | 山頂です |
四差路でここからは山道となります | 落ち葉の積もる滑りやすい道 |
日裏山神社 | 展望所への尾根道です |
展望所です。眼下にあさひが丘団地が | 三角点は落ち葉に埋もれて斜面にあります |
気持ちのよい道が続きます | こんな道も |
中央に荒谷山、左端に野登呂山。荒谷山の背後、左に武田山、火山、右に窓ケ山、岳山、東郷山が展開しています | |
コース概念図 | |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像) 及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第577号) |
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