山 名 | 向山 |
標 高 | 665.6m |
場 所 | 広島市佐伯区・安佐南区 |
登 頂 | 2020.3.18 |
アクセス | 広電バス:五日市駅北口→藤の木団地行 |
コース | ○登り:野登呂登山口9:43→10:48仏峠10:54→11:12奥原の岩場12:04→向山12:08 ○下り:向山12:19→一休みの壇→神原登山口13:23 |
メンバー | 美14名 |
過去記録 | H30.9.19 H28.5.18 H26.5.26 |
【概 要】
広島市佐伯区と安佐南区との境界に位置する向山(665.9m)は三等三角点が置かれていますが山頂は樹林に囲まれて眺望は期待できません。直下の「奥原ノ展望」(奥原の岩場)と呼ばれる岩場はそれに代わる絶好の展望地で、広島南アルプスの火山から鈴が峰にかけての稜線や東郷山、窓ケ山、極楽寺山など沿岸部の山並みそして江田島、能美島、似島、宮島などの瀬戸内の多島美が広がる景観を楽しむことができます。
登山コースは複数ありその詳細は「いしうちのたかやま」(石内公民館発行)でAコース(こころ登山口)、Bコース(笹利登山口から尾根道で山頂へ)、D1コース(神原登山口)、D2コース(笹利登山口からナンマイ岩を経て山頂へ)の4コースとそれから派生するコースが紹介されています。
今回は野登呂登山口から登り仏峠を経て山頂を踏みD1コースで神原登山口に下山しました。野登呂登山口から仏峠は多少倒木も見られましたが問題はありませんでした。
○藤の木団地バス停9:08〜登山口9:34
藤の木団地の藤の木団地バス停で下車すると正面に藤の木小学校とその奥に向山が見えています。向山へのルートは団地の東側からの「奥原ルート」と西側からの「野登呂ルート」がありますが今回は野登呂ルートを利用しました。
バス停から左折しすぐ先の手すり付き階段を下り正面に向山を見て中道橋を渡ります。橋からは直進しても良いのですが今回は右折し谷川沿いに進みました。途中にある市天然記念物指定の「野登呂のカゴノキ」を過ぎると十字路に出ます。
十字路は右手に木工所(三協アルミの看板がある)を見て直進します。20分ほどで「錫鉱床跡」の案内板がある分岐に着きました。以前あったはずの登山案内は見当たりませんでした。右の道は車止めがあります。
分岐から狭い舗装路を進み「弥生土器遺跡」の案内板を過ぎて野登呂川を渡ります。橋の手前に「向山登山道」の案内がありました。「錫鉱床跡」の案内から
3分でした。ここを一応、野登呂登山口としておきます。
○登山口9:43〜仏峠10:48
橋を渡り右折して舗装作業路に入りますがここにも「向山登山道」の案内がありました。この先はその昔、野登呂から奥畑に通ずる生活道だった道をたどり仏峠を目指します。
橋から8分で集中豪雨災害(平成11(1999)年6月)の復旧に伴う砂防ダムを見て舗装作業路を進みます。
作業路が途切れると山道に入りました。しばらく右下に渓流を見て進むと渓流内の歩きとなりました。水量はありませんがゴロ石が散在する沢歩きです。
砂防ダムから10分ほどで渓流を二分する小尾根に取り付きました。登路には案内プレート類はありませんが要所にはテープが見られます。このルートの利用者は多くないようですがその分自然な雰囲気を残しています。
雑木主体の道がスギ植林帯に変わるとジグザグの急登となりました。小尾根に乗ってから40分ほどで上空が明るくなりササが被りだすと土石流先端部に出ました。ここを越え右の尾根に渡りますが崩落跡も既に樹木に覆われています。
スギ植林帯も終わり穏やかになった雑木林の道を進むと右手に集中豪雨犠牲者を悼んで建てられた地蔵像があります。地蔵像から2分で仏峠に到着しました。登山口からは一時間余りでした。
○仏峠10:54〜11:12奥原の岩場12:04〜向山12:08
十字路鞍部の仏峠には真新しい道標が立っていました。左の急登は窓ケ山方面で「←憩の森」、右の急登は「向山→」、登って来た方向は「藤の木団地(野登呂ルート)」となっています。ただ直進の奥畑への道は案内がありません。
仏峠からはササの現れた急な道を向山に向かいます。2分ほど登ると「仏峠(ほとけだお)賽の神(幸神社)」と書かれた説明板があり、峠に信仰の対象が置かれていたことが分かります。平成になり石仏が置かれたとあるので覗いてみました。それらしきものは見当りませんでしたがその代わりにイワカガミの群生が見られました。
落葉期の明るい雑木林の道を登ると峠から10分で笹利からのBコースが合流しました。ここにも新しい道標があり来た方向は「憩の森」、上りは「向山山頂」、そして合流した道は「藤の木団地(奥原ルート)」となっています。
尾根道を進みBルート合流点から7分で開けた岩場に到着しました。大小の岩が点在する岩場は以前の「奥原の岩場」のプレートに加えて新しい「奥原ノ展望」の標柱が立っていました。
岩場は山頂方向は閉ざされているものの東側には西風新都、南側に美鈴が丘から五日市、廿日市の街並み、西側には極楽寺山から窓が山、東郷山などが広がりそして江田島、能美島、似島、宮島などの瀬戸内の島々も望まれます。また火山から鈴が峰に連なる広島南アルプス稜線の奥には呉娑々宇山、鉾取山系の山々や呉線沿線の山々が連なっています。
岩場からは山頂に向いました。岩場のすぐ先に帰路に利用するDコースが下っています。穏やかな尾根道を4分ほど進むと山頂に到着です。
○向山12:19〜神原登山口13:23
山頂には新しい「向山山頂」と「666m」の標柱がありました。三等三角点の置かれた山頂は間伐されたようで以前に比べると明るく感じられました。
向山は高山とも呼ばれますが、説明板には「高山(向山)6665.9m 国郡誌下調書出帳という石内村の事柄を浅野藩に報告した古文書に、石内村の名勝に高山という山があると記されており、国土地理院の地図上では向山と記されているが、地元石内では今でもこの山を高山と呼び親しんでいる」とありました。
下山は北に尾根道を進むAコースがありますが、今回は引き返してDコースで神原登山口に向かいます。
Dコースの下山口には「固目ケ岳・神原」の案内表示があります。6分ほど急坂を下ると「固目ケ岳」への案内がありました。右に進入すると1分で固目ケ岳です。視野は奥原の岩場よりは狭いものの西風新都の屋並みを眼下にして広島南アルプスや瀬戸内海の島々を望むことができます。
下山路に戻り4分足らず下ると「一休みの壇」の展望岩です。ここからは少し視野が狭まりますがより近づいた景観を楽しめます。
植林帯の急坂を10分ほど下ると「笹利分岐(藤の木団地)」のプレートがあり右に笹利への道(D2コース)が分岐します。
D2コースを直進し傾斜の緩んできた道を2分ほど下ると「源氏大休みの壇」で、道の膨らみに丸太ベンチも置かれていました。史実はともかく1184年に源範頼が休息した場所とか。さらに1分ほどで「集会所」のテープがあり右に道(Gコース)が下っています。
最後の急坂が終わり歩きやすくなった道を「源氏大休みの壇」から14分ほどで16番鉄塔に出ました。鉄塔の北側には岳山や荒谷山、緑井権現山など南側には広島湾と似島も見えています。
鉄塔から視界の無い道を5分足らずで未舗装林道に出ました。左手方向に「←大谷の滝」(Hコース)、また来た方向に「←向山」、下山方向に「神原→」の道標がありました。
右折しガードレールのある未舗装林道を5分ほど下って舗装路に出ると「←神原」、「向山→」の案内がありました。左折して1分ほど下ると右手に未舗装の道がありますのでこちらに入ります。ここにも「神原」案内表示がありました。
雑木と植林の混在林の中を3分進むと「神原のシダレザクラ」前の橋に下山しました。ここには案内表示類は見当たりませんでした。橋のたもとには「下り ひろしま、左は こおち」と読める古道道しるべがあります。
神原から西風新都に出てセントラルシティー入口バス停で乗車しました。
広島里山紀行記
9:08 藤の木団地バス停を出発 | バス停から左折して階段を下ります |
中道橋を渡り右折(直進でも可)。 正面に向山が | 十字路は右手に木工所をみて直進です |
錫鉱床跡の案内板から登山口へ | 9:43 橋の手前に「向山登山道」の案内が |
砂防ダムを右に見て | 9:51 作業路から山道へ |
右下に渓流を見ての | しばらく沢の中を歩きます |
植林帯の急な登りが続きます | 土石流先端部を渡ります |
集中豪雨犠牲者を悼んだ地蔵像 | 10:48-10:54 仏峠から向山へ |
仏峠から急な登りです | 11:04 奥原ルートが合流です |
尾根道を | 11:12 上空が開けて岩場に出ました |
大小の岩が点在する岩場は「奥原の岩場」のプレートと「奥原ノ展望」の標柱が立っています |
眼前に西風新都、美鈴が丘や五日市の街並みそして火山から鈴が峰に連なる広島南アルプス稜線が望めます |