岩 山

                   

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 データ 

 【山  名】   岩山 
 【標  高】  419.5m
 【場  所】  呉市郷原町
 【登  頂】  H24.2.5(日)
 【アクセス】



 31号線→熊野別れ信号で昭和入口→31号線で焼山団地→焼山西3丁目で郷原方面→
 66号線で郷原町→郷原橋を渡り375号線→郷原バス停の信号で336号線→岡条バス停
   *呉市市バスの場合   呉駅から郷原黒瀬線 「下黒瀬・兼広」行き市営 岡条バス停下車
   *JR中国バスの場合  西条線(呉駅〜広島国際大学〜広島大学〜西条駅)
 【コース 】


 登山口→林道→地蔵尊→薬師寺→尾根分岐→本丸跡→展望地
    登り:60分 
    下り:50分 (ゆっくりのペースです)
 【情  報】



 駐車場:ありません
 トイレ:ありません
  *地図上では胡神社から右折し黒瀬方向にしばらく進み「アイワ」先のカーブーミラの所で
    左折する道が登山路で合流した林道に接続するようです。ここには駐車可能地があります。 
 【メンバー】  同道二人
 【過去記録】  平成15年2月1日

 山行記

                              【概   要】                            

○ 焼山団地から工業団地を過ぎ郷原地区に入ります。開通間近の東広島呉自動車道の郷原IC辺りは大規模な工事が進められていました。左手の前方にはそれと分かる巨岩の重なる岩山が見えてきます。
  山すそを巻く細い道を進入するのが最短のようですが、安全をとり一旦、国道まで行きました。 郷原橋を渡り375号線に入り、郷原バス停の信号で336号線に入り黒瀬川の橋を渡ります。岡条バス停の突き当たりには胡神社の鳥居があり石段の先に社が見えています。

○ 登山口はこの神社の手前を岡条集落の方に入る車1台分ほどの道を進んだ先にあります。 付近には登山者用の駐車スペースは用意されていませんので離れた道の脹らみ置きました。神社から細い舗装路を4分ほど進むと「呉指定名勝岩山登山口」と書かれた表示板が電柱に掲げられています。

○ 右折して住宅や耕作地の間を進むと、眼前に山頂部の大岩に「火の用心」と書れた岩山が見えていますが、全体が岩で構成されている感じです。
   5分ほど緩やかに登り右に曲がった先のコンクリート擁壁に岩山登山口と書かれていますが、その少し先の同様な表示個所が実際の登山口となります。 ここには文末に示した「呉市指定文化財 第45号 名勝 岩山」の案内板が立っていました。

○ 進入すると右手は墓所ですがすぐにクヌギや篠竹の茂る山道となります。5分ほど歩くと未舗装の林道に出て、その先には木階段が登っています。 林道を確認してみましたら少し右手に進んだ所に墓所があり駐車できそうでした。

○ 道は瀬戸内でよく見られる風化花崗岩の砂礫混じりで少し進むと広い花崗岩の上を歩きます。ここで服装調整を行いました。 林道から10分ほどで地蔵尊と水場がありその背後に大岩が見えます。 左手に踏み跡が登っていますが、 ここは本道なりに右をとり一登りすると広場に出ました。 史跡薬師堂とあり巨岩の下にお堂があります。

○ 薬師堂からは山頂を右から巻く形で山腹を登っていきます。落ち葉の積もる道は時折、岩も現れますが概して良い道です。10分ほど登るとようやく視界が開け胡神社の方が望めます。さらに1分ほど進むと少し下った所に岩場の展望ポイントがあり黒瀬方面も望めました

○ ここからまた視界が遮られますが30分ほど登るとまた大展望が得られ、正面に大きな野呂山系、左に黒瀬方面、右に郷原集落が広がります。さらに気持ちの良い道ですが斜度を増した登路を10分余り喘ぐと尾根に出て、黒瀬の町並みが望めます。
  ここから道は右手、南方向に転じますが道は二分します。 標柱があり左は本丸ですが右手は石塁跡とあります(前回は案内もなく右手は黒瀬方向からの登路かと思っていました)。

○ 石塁跡は帰路として本丸を目指しますが、二分した道はすぐ先で合流しました。合流点には土塁跡、郭跡の表示もありますが、素人目には定かではありません。 篠竹と雑木の茂る尾根の穏やかな道を進むと、分岐から3分そこそこで岩の点在する開けた場所に出ます。ここが三等三角点の置かれた本丸跡ですが、残念ながら雑木に囲まれ展望は得られません。
  朽ちて倒れた「名勝岩山」の標柱と文字の薄れた手製の「史跡岩山城本丸跡」案内があります(内容は文末にあります)。 登山口の案内板によると天文23(1554)年に毛利元就より落城された戦国大名大内氏の南部防衛拠点の城跡だが、戦争末期には防空砲台が築かれ史跡も変形したとありました。それと思われる窪地も見えます。

○ 本丸跡から篠の茂る道を進むと2分ほどで前方がぱっと開け展望地です。花崗岩の大岩が重なった展望地からの景観は素晴らしいものです。 ただ今日は予報に反して天気の崩れが早く靄っているのが残念です。それでも正面には灰が峰、左手には野呂山の大きな山並み、眼下には盆地を蛇行する黒瀬川と郷原の町並みが広がります。右手には開通間近の東広島呉自動車道と郷原CCが見えます。 視界が良ければ瀬戸内海も望めるはずでした。

○ 展望地の左手に道が下り井戸跡とありますので覗いてみました。 確かに水の溜まった丸い窪みがりました。 山頂付近にと不思議な思いです。 十分展望を楽しんだ後は石塁跡経由で下山です。石塁は小規模のも
のですが600年もの歳月を経たと思えば、、、、、
                                                                
                                                     広島里山紀行

@登山口の案内板

呉市指定文化財             名勝 岩山
 第45号 
                                                                        昭和55(1980)年10月1日
 岩山(海抜420.6m)は、黒瀬川が運んだ土砂で出来た平地(海抜150m)に接し、270mの高さにそそり立つ花崗岩の岩山で、頂上からの展望は非常に優れています。
 戦国時代、東西条(現在の東広島市西条町周辺地域=呉浦も含む)を支配していた戦国大名大内氏の南部防衛の拠点となる城がこの山にありました。当時、勢力を伸ばしてきた毛利元就が天文23(1554)年、総勢2000人による猛攻撃を加え、激しい合戦の末、城主岩見源之丞は討たれ、岩山城はついに落城しました。
 以前、本丸のあった山頂からは黒くなった米や麦、ソバ等が出土したと言います。しかし、第二次世界大戦の時、砲台を山頂に設置したため、今は石垣や井戸を残すのみとなりました。
                                                   呉市教育委員会

A本丸跡の案内

史跡岩山城本丸跡

南北朝時代、黒瀬村地頭の新居氏が応永十一年(一四〇四)に安芸国の国人三十三名の中の一人として郷原修理亮清泰を名乗り、其の郷原氏が岩山に初めて山城を築城 室町時代には、郷原を含む黒瀬村は山口の守護大名大内氏の勢力化(下?)となり、岩山城は東西条防衛の重要な難攻の山城であった。後に大内方陶晴賢と毛利元就が対立し、両雄の厳島決戦の前年、天文二十三年(一五五四)十月岩山城は約二千人の毛利軍に攻撃され最後の城主石見源之丞は約六百人で山麓シメノ松と討たケ原で激戦したが敗れ 、東西条の最後の砦であった岩山城は落城した。今も頂上には本丸跡、井戸跡、石塁跡、土塁跡、郭跡、馬場跡、馬洗場跡が残っている。



 アルバム

           
         胡神社。ここを右折します          電柱に登山口の案内表示があります

     

     
      正面に名のごとく岩だらけの岩山が       登山口です。史跡の案内板があります
   

     

     
         すぐ篠竹の茂る山道に        未舗装林道に合流し、前方の階段へ
             
        
         風化花崗岩の上の道を進むと          地蔵尊と大岩の前に出ます

     

     
        地蔵尊からすぐに薬師堂が        薬師堂を過ぎると山歩きらしくなります

        
     
         展望ポイントに寄り道をして             岩山らしく道も
 

   
                        展望が開けて。黒瀬川の背後に野呂山系が大きい

     

     
              しばらく喘ぐと      尾根の分岐にでました。道は先で合流します


         
                  分岐点から黒瀬方面の展望です。盆地を蛇行する黒瀬川が

      

    
        山頂を目ざし雑木林を進むと        城跡の山頂です  マウスを乗せると

     

     
          さらに南方向に進むと             岩場の展望地に出ます

     

     
       眼下に郷原の盆地が マウスを乗せると        開通間近の自動車道、ゴルフ場も
 

前面に蛇行する黒瀬川と郷原集落が展開し、正面には野呂山が大きい。遥かには灰が峰も。パノラマスクロールはこちら 

     

     
           山頂直下の井戸跡           600年の歳月を経た石塁跡

     

     
            静寂な山歩きでした                  下山です

 コース概念図 

                 
                                GPS画像ではありません

 
                    この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
                    及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、第577号)

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